大阪乾癬患者友の会5周年記念特別号

会発足5年の節目を迎えて
 
大阪乾癬患者友の会は2003年末をもって発足5年の節目を迎えました。会発足5年を節目に、5周年記念誌をここに皆様にお届けさせていただきます。
当会は1998年12月に難治の乾癬の患者のQOLの向上を目指して当時の阪大皮膚科吉川教授のご発案と、運営を支えていただいた日生病院の東山先生の熱意、会の発展を支えていただいた大阪大学医学部皮膚科学教室、日生病院の先生方、会の運営を支えていただいた日生病院の皆様のご協力、ご指導のもとに発足したものです。
この5年間で会員数300名を超える所帯に成長し、また全国多くの乾癬患者会と恒常的な交流をもてるようになってきました。これもひとえに会の成長を見守り支えていただいた乾癬専門医の皆様、会員の皆様、全国の患者会の皆様のおかげと感謝しています。またホームページ等の運営や阪大とのパイプ役を果たしていただいている西田様にも強く感謝をしています。さらに今般は全国の患者会の相談医の先生方と会の代表者の皆様よりご祝辞等寄稿文をいただきました。併せてお礼申し上げます。
発足当時から現在までの経緯については、初代会長として多くのご苦労をされた前会長の体験談に多くが記されていますのでご参照ください。
 
 5周年の記念事業を起こすにあたって約1年間幹事の中で協議を重ねましたがこれまでの会のあゆみと今後の展望を見通すに当会の会報を取りまとめるのが一番であるとの結論に達しこの記念誌を発行致しました。
 
 この5年間を振り返ってみると乾癬の治療は大きく進歩しました。特に吉川先生が開発に大きく関与された高濃度のビタミンD3の軟膏はステロイド一辺倒だった外用剤から、選択肢が増え大きな変革になったと感じています。
 まず濃度の低いボンアルファ軟膏が11年前の1993年に発売されましたが濃度が薄いため効果が限定的で高濃度のものが求められていました。それが2000年のドボネックス軟膏の発売を皮切りにオキサロール軟膏2001年、ドボネックスハイ軟膏2002年と高濃度の薬剤が矢継ぎ早に発売され、外用薬がステロイドとビタミンD3の2本柱となりました。
 今後は遺伝子や免疫等の生化学的な分野に踏み込んだ研究等を通じより本質的な治療方法が確立されていくことを望んでいます。今後5年で現時点よりもっと進んだ乾癬治療が行われるようになることを望んでいます。
 
 さて患者会は同じ病気を抱える仲間が集まって情報交換をすることで安心を得ることができると信じています。私自身もこの会に入会することにより病気に関する的確な情報が入手でき、また同病の仲間と知り合うことにより安心して治療に専念できるようになったのは精神的にとても救われました。このような体験を会員同士で共有し皆様の病状が日々よくなっていくようにこの会を運営していきたいと考えています。
また患者会関連ではこの5年間に、先行する茨城、北海道、三重に続いて、東京、石川、愛知、(大分)に発足しました。これらの会との交流を通じて多くの情報が入手できるようになました。さらには各会協力して乾癬学会の展示に参加させていただくことで医師側の患者会活動へのご理解が進み種々のご支援をいただけるようになりました。今後ともこの活動は継続、拡大させていく必要があると感じています。
 
 この間、当会では会員の皆様により多くの的確な情報を提供することを主眼として活動を行ってまいりました。この5年間でそれなりの情報発信ができたものと自負しています。しかし会員の皆様のQOLをより良くするには、病気に関する情報とともに会員同士の交流がまた重要な問題となっていると思います。
今後は会員の皆様同士の交流をより進めることができるような活動を増やしていく必要性を感じています。これから皆様と相談しながらできることからそのような活動を増やして行きたいと考えています。平成15年度末に大阪府の吹田地区にて発足した地域の患者会活動を支援させていただくのを皮切りに模索していきたいと思っています。会員の皆様の更なるご要望、ご発案、ご支援等をよろしくお願い致します。会員の皆様とともに歩み発展させる会を目指して今後の活動を進めたいと思っています。
また会報等を通じて幹事会で討議した内容等を積極的に広報しより開かれた患者会を目指したいと考えています。会員皆様の更なる積極的な患者会の活動へのご協力とご参加をよろしくお願いいたします。

5周年記念特別号巻頭の会長挨拶より

 

記念誌の編集上の都合で小林皮フ科クリニック(札幌市)小林仁先生の原稿が間に合わず挟み込みになっております。悪しからずご容赦下さい。

 

平成16年3月吉日
大阪乾癬患者友の会 会長